ベトナムの文学


ベトナム人は、漢代より五代までの中国に支配された北属期に漢字文化の基礎をばいよう培ったようです。

中国からの独立後は独自の漢字音が成立するとともに,歴代王朝が漢字を行政,学術上の文字として用いたため,文化の全般に中国文化の影響が色濃い。文学も中国文学の影響を受けながら,民族性を反映した特異な内容と形式をもって発展しました。

民族語によって古くから行われた韻を踏んだ短詩は,固有の文字をもたなかったために伝わらず,今日に伝承されている〈俗語〉や〈歌謡〉などの口承詩を,古代の韻文にさかのぼるとする意見はあるが,その起源はつまびらかではないようです。

古代の伝承説話もチャン(陳)朝に漢文で書かれた《嶺南(れいなんせきかい)》によって概要が知れるものの,それらを民族語で伝える資料は存在しないと云われて居ます。

民族文字チュノム(字喃)の発祥は北属期とみられていますが,13世紀にこの文字による民族語の表記が盛んになり,やがてチュノムによって書かれた文学が,18世紀半ばまで主流であった漢詩文と並行して発展しました。

 中国から独立した10世紀に,道教的色彩を伴った精霊崇拝に仏教が融合した文化基盤が形成され,リ(李)朝にはこうした文化を背景にした今体の漢詩が興りました。

チャン朝以前の文籍は15世紀初頭の明の侵略軍の略奪によってほとんど失われたが,リ朝以前の詩については,チャン朝の《禅苑集英》がカイン・ヒー(慶喜),バオ・ザック(宝覚)をはじめとする禅師の詩集やその作品を伝えています。

リ朝中期からチャン朝にいたって儒教文化が興隆するに伴い,朝廷を中心とする詩壇が形成されて漢詩文の隆盛をみたが,チャン朝の文学についてはグエン(阮)朝の《歴朝憲章類志文籍志》にチュー・バン・チン(朱文貞),チュオン・ハン・シエウ(張漢超),チャン・クアン・カーイ(陳光啓)などの廷臣や諸帝の詩文集の名が多く伝えられ,作品もレ(黎)朝に成った《皇越詩選》など後世のアンソロジーで知られています。

13世紀にレ・バン・フー(黎文休)によって編修された正史《大越史記》は神話や古代伝説によって民族史の黎明期を叙述したとされ,次いでリ・テー・スエン(李済川)の説話集《嶺南
怪》が成りました。

またチュノムによる民族語の絶句や律詩である国語詩が《披沙集》の作者グエン・トゥエン(阮
椿)によって創始されるなど,チャン朝における文学には民族意識の勃興を反映する要素が濃い。

15世紀に成立したレ朝では,科挙制の整備と儒教の国教化によって文学の評価が高まり,漢詩文が知識人層の必須の教養とされる一方,民族語詩にも新たな発展がみられました。

初期の最大の詩人はグエン・チャイ(阮薦)で,彼は《ウク・チャイ(抑斎)集》6巻にすぐれた詩文と学術的著作を残しただけでなく,18世紀に勃興する双七体長編詩の最古の作品《家訓歌》の作者ともされています。

レ朝はレ・タイントン(黎聖宗)の時代に文学尊重の気運が最も高まり,タイントン自身に《明良錦綉詩集》などの御製詩集や《瓊苑九歌》《古心百詠》その他の勅選集があるだけでなく,その《洪徳国音詩集》にはチャン朝の国語詩と詩体を異にする七言・六言混交体の国音詩を集め,より特徴のある民族語詩が盛んに試みられたことを示していmあす。

16世紀から王朝文化は退廃期に入り,儒教倫理に制約されて文学は活気を失ったが,隠棲して道教と仏教に新思想を追究し,体制に対する批判を筆に託すグエン・ビン・キエム(阮秉謙)などの文人が現れました。
社会批評の文学としてはグエン・ズー(阮
)が明の《剪灯新話》の影響の下に書いた《伝奇漫録》がありました。
レ朝末期は儒教の国教的権威が官僚制の後退とともに衰え,俗化した仏教に儒・道2教が混交した国民的宗教が成立したようです。

同時に民衆的伝統文化が文人の台頭する時流の中で尊重され,口承詩の詩体を採用しチュノムで書かれた六八体長編詩が急速に発展しました。
グエン・フイ・トゥ(阮輝似)の《花箋伝》を初期の代表作とするこの長編詩は,グエン朝初期にかけて数百行から800以上のスタンザを含む三千数百行に及ぶ作品が数多く出現し,読書人にもてはやされました。主要作品が中国の通俗小説の韻文訳で,チュノムの読解に該博な漢字の知識を必要としたため,当初から国民文学として広く民衆に普及したわけではなかったようです。

しかし六八体詩の民族語による豊富で繊細な表現と伝統的韻律で歌われる庶民的主題はしだいに国民的人気を獲得し,今日ではグエン・ズー(阮攸)の《キム・バン・キエウ》を頂上的作品とする,韻文の小説ともいうべきその一連の作品は,民族文学の古典としての評価を得ています。

封建社会に対する風刺詩がホー・スアン・フオン(胡春香)などの閨秀詩人によって盛んに行われたのもレ朝末期,グエン朝初期の特徴で,女権の強い国民性を反映していました。
しかしこうした活発な文学活動はグエン朝中期に入って沈滞し,19世紀後半ではグエン朝に対する反逆の漢詩人カオ・バー・クアット(高伯
)や抗仏の抵抗詩人グエン・ディン・チエウ(阮廷)の文学のほかに現代的評価を得ているものは少ない。

フランス領期に入ってチュノムと漢字に代わりローマ字による民族語の表記法〈クオック・グー(国語)〉が普及し,その前半期は文学が停滞したが,20世紀に入るとやがて西欧文学の影響を受けたロマン主義の小説がこの文字で書かれ始めました。
1920年代には〈自力文団〉による文壇の形成がみられ,詩,小説ともに近代文学の時代を迎えました。
30年代末には民族運動派による,植民地主義と封建的慣習に対する批判を主題にしたリアリズムの文学が主流となり,45年の8月革命以後の社会主義文学の先駆となったようです。