伽羅は沈香であり沈香は香料の一種である。
香料は調味用、薬用、 宗教儀式用、化粧用、焼香用の香料といろいろあるが、ここでは特にアジアで重宝された沈香について述べてみようと思います。
まずは香りの歴史的背景と地理的背景を大胆かつ独断的に分けてしまうと、歴史は古く中東諸国エジプトのミイラ、クレオパトラ、シバの女王以前にさかのぼり乳香、没薬、両方とも常緑高木の樹液でそれを採取固めたものを香炉でたき、その香煙は甘く優雅なかおりする香料を古代人は神神への祈りの際儀式に使用したようです。
古くから東南アジア、インドでは香料が穢れをとるものとして利用し 諸仏や神神を供養するときに人々の体臭を除き清浄な身体で奉仕しなければならいとされ、彼らはこの香として栴檀、白檀の粉を身体に塗抹した。これを塗れば一切の病魔を除き、火の燃えさかる中に入っても焼けず、阿修羅と戦い傷ついても直ちに癒えると信じられていた。
灼熱のもとに生きる人たちの熱病と風腫をいやす万能薬であり、また人々の求める匂いでもあった。彼らは日に数回沐浴し竜脳の油に白檀、沈香、麝香などを混ぜたものを体に塗抹して、諸天と仏を敬していた。彼らの生理上からのようきゅうで生まれた香料の一種であるが、祭天の供養とされているところに意味がある。
古来、中国人日本人は香といえば沈香木を焚くことだけを意味し化粧料も調味料も彼らにとっては香でなっかった。香即ち沈で一貫したのが、彼らの匂いの世界である。彼らは沈香木だけの清楚優雅な匂いに終始したのである。
沈香木はインドや東南アジアのジャングルの中にまれに見出す樹木で、老木の枝幹木質の一部に極めてまれに樹脂分が緻密に沈着凝集している香木であり、これを焚けば樹脂分の凝集の度合いにより、 香気は清遠、清澄、清淑、清艶、腥烈、焦烈などと表現される微妙な匂いがする。
このように 香料は同時に薬品でもあり香薬といわれ薬物としての効能よりも匂いのほうがまさっているものを香であるとした。
中東諸国は乳香、没薬を重宝し西アジア、インドは白檀、中国日本は沈香を、ヨーロッパ人は香辛料を香料としたのである。
日本におけける香料の最初の記述は日本書紀あるといわれている。推古天皇の時代 “沈水が淡路島に漂着”とあり、この沈水とは沈香のことで 島の人々は長さ二メートル半もあるものをただの流木と思い竈に薪と一緒になげこんでしまった。
ところが大変かぐわしい匂いのする煙がたちのぼり、驚いた人々はこれを朝廷に献上したといわれている。
その時代に聖徳太子が仏教を政治のため利用したため仏教儀礼として香の使用が広まったといわれている。
事実、正倉院にある沈香木は日本にある沈香のなでは最大のもので “蘭奢待”といわれ聖武天皇の遺品であるので、その歴史の古さが判る。
この“蘭奢待”と呼ばれる沈香木は足利時代よりから呼ばれるようになったらしい。“猛々しくおごった侍がかならず欲しがる”という意味が込められていると言う。
また蘭の字には東、奢の字には大、待と言う字には寺があり、これらを合わせると東大寺となる。 このため、この香木を“東大寺”と呼ぶ事もあるそうだ。
この名香を切り取った者のなかには足利義政、織田信長、そして明治天皇がいた。
何時頃から上質香木のことを伽羅と呼ぶようになったかは、確かなことはふめいだが江戸時代には伽羅といえば “すばらしい”とか“すてきな”、“美しい”などの代名詞として使用されていた。“伽羅侍”“伽羅女”“伽羅臭い”は我々も時々目にする言葉である。
香木、特に沈香と称するものには、六国五香と言われるだけあって、ヴェトナム中部地区の山の中で取れる極上品を“伽羅”、タイ国産を“羅国”、スマトラ産を“蘇門答刺”、マラッカ産を“真那賀”、タイ奥地産を“真南蕃”、その他産を“佐曾羅”と六国に分けて香木名をつけ 大名や茶人のあいだでは これらを重宝し茶室や玄関に香を焚いて客を迎えたとあります。
足利時代に香道文化が急速に進み、織田豊臣時代に茶道が開花しその幽玄さを追求した利休などにより香道をもさらに推し進めた。 織田豊臣時代より始められた海南貿易は、徳川家康により御朱印船貿易としてアユチャヤ、ヴェトナムの中部にあるホイアンを基地にした貿易が盛んになりそこで求められたものが沈香だといわれている。
徳川家康はチャンパ王国ホイアンの領主にたいし親書を御朱印船に託し極上の伽羅を求めたとありそのときの交易の絵が名古屋の情妙寺に残されているはずです。
ホイアンはヴェトナム中部ダナン市の南30Kmの海岸にある町で我々の工場のあるとなり町だが、安南貿易の基地として栄え1600年代には日本人が500名以上定住したところだ。
それまではチャム族のチャンパ王国が栄えホイアンはその中心地であったと推測される。チャム族はインド海洋民族でジャワ、スマトラと貿易の中継基地として民族移動を行い各地に王国を建設していったといわれている。
伽羅とは梵語で“黒い”と言う意味だそうですが、確かに伽羅は重くて黒いいろをした香木です。 マレイ、ジャワ語ではKalambakと言い梵語のKala(黒い)からきたものでBakは中国福建語のMuhから転化したものとおもわれる。
最初に香木の取引した中国人とサンスクリット語を話すチャム人が “Muh”と“Kala”をあわせて“黒い木”“kalamuh”と発音したのは想像できます。それが転化し中国語で伽羅木となり 日本に来たのではないかと思っています。
その後、それがポルトガル人の手で日本に輸入された時には 伽羅のことを原産地の発音で“奇南香”と書き、 徳川家康がチャンパに宛てた親書にも“奇南香”であったようです。
ヴェトナムでは沈香のことを“Cham Hung”と言い、極上品の伽羅のことを“Ky Nam”と呼んでいます。 しかし日本では中国からきた伽羅と言う言葉ががすでに定着しており 奇南香とは言わなかったようです。
日本では香と言えば沈香のことをさし 木そのものが芳香を放つものではなく、アジア熱帯地方の常緑高木(アキラリアやゴノチラスといわれる) が自然に枯死したり、バクテリアによって朽ちた木が土中に埋れて樹脂が木質に沈着したものをさす。 水より重いのはそのためだ。上質なものは黒く艶があり重く、それ自身は芳香をださない。焚いてはじめて香りを出す。
なかには樹脂の沈着が緻密でなく軽いものもあるが、これを桟香と呼び価値は低い。
では簡単に香の焚きかたに ついて説明しておきますと、伽羅は直接火をつけて燃やすものではありません。
伽羅を暖めますと、伽羅に含んでいる樹脂から良い匂いが出てきます。それが室内に漂い幽玄な世界を開きます。
ついでながら お香は匂いをかぐとは申しません。 匂いを聴くと言います。
近頃はまた香道が流行りだしたようで大きなデパートにいけば香道コーナーがあるようです。 香炉、香炉用炭、灰に香道の七つ道具が売っているようです。
香炉はヴェトナムにも大理石で作ったものもありますが、中国スタイルのもので、やはり日本人には日本式香炉がよく似合うようです。
香炉の中に灰をしき火をつけた炭を灰のなかに埋め込み、その上に銀葉(雲母でできた二センチ四方のもの、七つ道具のうちの一つです)を敷き、またその上に伽羅をのせます。
伽羅は一センチ四方、厚さ三ミリから五ミリのおおきさに切り、直接火が伽羅に付かないようにします。そうしますと三十分から一時間ぐらい香炉から良い匂いがたち込めます。
香炉の置き場所は玄関、客間、寝室、お手水場と好みにあわせて置けばよいでしょう。 大事なお客をお迎えする時などには、玄関にお香を焚いておきます。その家の家風がお客に良い印象を与え お客のおもてなしには最高だと思います。 また自分の居間などにお香を焚いてをきますと気分が落ち着きますし 物事の思索、読書するのには最適だとおもいます。
昔から着物の香焚きと言われ、自分のきる着物に伽羅の香りを移しておくことが流行りました。 自分の香りを背広や服に移しておくのも 結構良いものです。香水などとは優雅さが異なると思います。 一度試してみませんか?
ヴェトナムとカンボジャの国境をはしる長山山脈はヴェトナム中部では海岸に迫り、我々の工場からよく見える。 そこの山地に極上の伽羅が産するのであるが、今では山地民族が、我々が日本で自然薯を掘るように、他人、たとえ家族にも場所を教えずこっそりと自分の感と偶然という心もとなさで掘り返しているようだ。そのため量も非常に少なくかつ高価である。
何時かは山に入り私も伽羅を探してみたいが、まだマラリヤも恐いし蛇も恐い。
沈香 伽羅について